または私は如何にして心配するのを止めて兵器を愛するようになったか
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折角佐久間まで来たのだから
(地図を参照しながらお読みいただくとわかりやいすカモ?) (左)スタート地点は佐久間レールパークに併設された(逆だ逆!)中部天竜駅。 (右)駅前からはバスも発着しているのだが、ダムへは行かないので(イベント時等はダム行きのバスも有るらしい)徒歩にて出発! C= C= C= C=┌(^ .^)┘ (左)中部大橋にて天竜川を渡る。 (右)渡った先が中部交差点。「中部」と書いて「なかへ」と読むらしい。 ちなみに駅名は「ちゅうぶてんりゅう」と読む。「中部大橋」が「なかへ」か「ちゅうぶ」かは調べていないので不明(^_^;) (左)中部交差点付近にはこんな施設がが有る。 日本の商業用電力の周波数は、概ね天竜川を境として西側が60KHz東側が50KHzに分かれており、この境界を越えて電力を融通する際に周波数を変換するために作られたのがこの佐久間周波数変換所。この種の施設が他に2箇所有るそう。 (右)中部交差点から山へ登る県道へと少し入ったところより、施設の様子を見ることが出来る。60KHzと50KHz、2組の送電線(三相交流なので各3本ずつある)が引き込まれているのがわかる。 (左)更に道を進むとこんな看板が有った。 この先県道はオメガ(Ω)カーブにて山を登っているのだが、この「近道」を使えば当該区間を直線的にショートカットする事ができる。…ただし僅かだけど急な階段を上る必要が有るけどナー(^_^;) (中)佐久間レールパクや中部大橋を見下ろすポイントまで登ってきた。 (右)天竜川にかかる鉄橋に119系電車が差し掛かっている。 画面左手に見えるのは佐久間ダムよりの導水により発電している佐久間水力発電所。 東京/名古屋両方面に送電できるよう、その発電機は50KHz/60KHz両用機となっているそう。 (左)歩いているのは県道1号線。ダム建設のために整備された道路のよう。 (中・右)コース後半はトンネルが主体。 素掘りの状態にコンクリート(?)が吹き付けられた感じの壁面がなかなかワイルド。 ルート上には全般的に歩道は無いのだが、トンネル内はダム建設工事の際に設置されたベルトコンベヤの台座跡(?)が歩道の替わりになっている。(幅は4~50cm程かな?) (左)暫く歩くと、「←展望台」と言う表示がある。 (右)トンネルの横坑を抜けるとこんな絶景が広がる。 丁度お昼時で、この展望台には他に人もいなかったので、絶景を独り占めしつつ持参したコンビニのオニギリ等にて、贅沢なんだか質素なんだかわからない昼食をとる。 佐久間ダムの堤高は155.5m 堤頂長は293.5m。高度成長期を向え逼迫する電力需要に対応すべく、1953年から56年まで僅か3年の工期で建設された。 県道に戻ってダム本体の上を走る道路(天端)へ向う。…が高所恐怖症のワタシにとっては道の真ん中に立っていても怖い場所なので(先ほどの展望台は何故か平気だった)、撮る物をとったらソソクサと引き上げる。(^_^;) (左)見下ろすアングルも怖いけど、見上げるアングルでの撮影も結構怖い(^_^;) (右)ダムの天端より下流を望む。スミマセン、もう限界です(^_^;) (左・中)佐久間発電所への取水口。円筒状の建物が2棟あった。 (右)ダム本体を見下ろす位置にある佐久間電力館の展望台より撮影。 (左)もと来た道を下り、中部大橋の隣にかかっているつり橋(中部橋)にて中部天竜駅方面へと戻る。 (中)トンビ(?)を相手に対空射撃訓練(^。^) (右)佐久間ダムがあしらわれたマンホールのふた。 ・ご参考:佐久間ダムへの道 今回歩いたコースは、佐久間ダムは勿論橋有りトンネル有り変電施設有り…とこの種の構造物好きな方にはオススメの散歩道だと思われますが、訪問の際には以下の点にご留意のほどを… 中部天竜駅から佐久間ダムまでは約3km程のようです。 本文にあるとうり歩道が有ったり無かったりのルートなので、徒歩移動の際は(歩行者は居ないと決め付けて走っている)自動車に充分ご注意を。また、写真の看板に有るとうり落石にもご注意の程を(具体的にどうしたら良いのかは知らないけどナー(^_^;)) トンネル内は一部照明が消えていて暗い所も有るので、反射材を用いた衣服等を着用していった方が良いかも? ルート上には両端の中部天竜駅及び佐久間電力間を除き、トイレや自販機等存在しないので、事前の「準備」は怠り無きように…。 また中部天竜駅前には売店や食堂はあるもののコンビには有りません。 PR
クヤ165形直流教習制御車
165系急行電車の食堂車サハシ165形を改造し、運転士教育用の教習車とした車両。 (右)経歴をしめす銘板。 オヤ31建築限界測定車 新線建設等の際に周囲の建築物が車両と干渉しないか確認するための車両。 (中)旧式化した客車を改造している。 (右)使用時は車体の周囲に配置された測定用腕木を転張する。その様子からついた愛称が「オイラン車」 ED11形直流電気機関車 東海道本線電化に際し、サンプルとして大正12年に輸入された電気機関車。晩年の本機は国鉄浜松工場の入れ替え機として使用されていた。 (中)「田」の字型の側面窓が萌えポイントの一つ(^。^) (右)側面に取り付けられた銘板。1922年10月米国ゼネラル・エレクトリック製とある。 クハ111形直流制御車。 昭和37年から大量に増備され全国の直流電化区間で使用された(と言うかまだ使用されている)111/113系電車の「初号機」。 ソ80形操重車 事故復旧等のために使用するクレーン車。クレーンには65tの吊り上げ能力がある。 自走は出来ないが、動力としてディーゼルエンジンを搭載している。 (右)クレーンを支える控車として、チキ6132を連結している。 クモハ12形直流制御電動車 首都圏の電車運転区間拡大に伴い、昭和6年に製造された車両。 両運転台構造だが… (左)片方のエンドは貫通路つき (中)反対側のエンドは非貫通構造になっている。 (右)車内も公開されていた。床や壁は木。 詰め所の建物の一部を利用して、屋内にも展示物があった。 (左)入り口のドアに、何気にマニアックなステッカーが貼ってあるし…(^_^;) (中)中部天竜駅で使われていた、ポイントなどを操作する装置。 (右)急行伊奈路のヘッドマーク (左)113系(115系かも?)の運転台を利用したシュミレーター。 ちなみに113/115系にJR東海色のものは実在していない…と思う。 (中)鉄道模型レイアウトもある。 (右)タブレット閉塞機など (左)特急ひだのヘッドマーク。 文字だけの古いタイプ。 (中)南紀とひだのヘッドマーク。 こちらは絵入りタイプ。 (右)屋外にも懐かしいヘッドマークが展示されていた。 佐久間レールパークは、飯田線中部天竜駅に併設されたJR東海の博物館。 1991年に中部天竜機関区の跡地を利用して開設されたが、金城ふ頭に2011年に開設予定のJR東海博物館(仮)へ展示車両の大半を移転させるため、今年11/1の公開日を最後に閉園されることが決まっている。 …と言うことで、この日は久しぶりに(前回来たのは10年以上前かも?)佐久間レールパークへと行って来ました。 東海道本線と飯田線を乗り継いで現地へと向う。 (左)豊橋まで乗ってきた117系8連の区間快速。豊橋駅で7分ほど停車したのち浜松へと向う。 (右)飯田線ホームにて。 長年119系(右側)が主力で活躍していたが、313系(左側)の投入も始まっている。 117系119系ともに、新型車の増備にともない平成22年度より淘汰が始まるそう。 佐久間レールパークに到着。 目玉は保存されている車両たち。 屋外展示にもかかわらず定期的に手入れが為されているらしく、各車とも良好な状態で保存されているように見受けられた。 0系新幹線の前頭部 (右)車内…と言うか運転台は公開されていた。 ED62形直流電気機関車 昭和33年から34年にかけて製造されたED61形電気機関車を飯田線用に改造した形式。 (中)本形式の萌えポイントは、ローカル線規格の飯田線にて運用するため、軸重(車輪1つごとにかかる重さ)軽減を目的として増設された中間台車。 (左)オロネ10形2等寝台車。 昭和30年より製造され、車体軽量化技術の基礎を築いた10系客車の2等寝台車。 今日の寝台車のベースになった車両でもある。 (中)マイネ40形1等寝台車。 昭和23年に新造された寝台車。冷房装置の他、2人用個室寝台も用意されていた。 (右)1等車を示すクリーム色の帯に描かれた「J.G.R.」は「Japanese Government Railways」の略で、進駐軍専用車に対し日本の運輸省所属の車両である事を示すもの。 (左)オハ35形3等客車 (中)オハフ33形3等緩急車 どちらも昭和14年より製造された代表的な3等客車(普通車)。 オハフ33形のほうは車掌室が付いている。 3等車には戦前は赤帯が巻かれていたが、戦後赤帯は廃止されている。オハフ33は戦前の、オハ35は戦後の状態を再現している。 (右)スニ30形荷物車。 昭和2年から7年にかけて製造された31系客車の荷物車。 古めかしい二重屋根構造が特徴的。 モハ52形直流制御電動車。 昭和12年、京都大阪間の電化に際して、急行電車用に登場した電車。当時世界的に流行した流線型を取り入れたデザインで、「流電」と呼ばれていた。 晩年は飯田線で使用されており、レールパーク開設時は晩年の姿で保存されていたが、近年塗装の変更/スカートの取り付け等が実施され登場時の姿に近付けられている。ただし、乗務員室扉や通風器など現役時代に改造されたまま残って居る箇所も見受けられる。 「急電」用に製造されたモハ52形は優れた高速性能を持ち、後に登場する特急型電車の礎になった車両といえるので、新幹線へと至る「鉄道の高速化」がテーマと言うJR東海博物館において、結構重要なポジションを占める車両と思われるのだが。JR東海博物館への移設に際し、現役中「改造」された箇所と近年「復元」された箇所の整合性が、どう処理されたりされなかったりするのかチョット興味深い所。 (左)連結面の塗り分けはこんな感じ。 クリーム/茶の「関西急電色」は、京阪神間の新快速用として国鉄末期に登場し、後に名古屋地区にも投入された117系電車にも引き継がれた。(…が、現在はその多くが塗り替えられている) (中)ヘッドライトも埋め込み形に「復元」されている。 前面ガラスには「急行」の種別表記が見られる。 「急電」は今日の新快速にあたる種別で、京都-大阪間を36分で走破したそう。 (右)連結器には自連用のアダプターが付いていた。 国鉄~JRの車両のうちも電車は密着連結器、それ以外(機関車/客車/貨車/気動車)は自動連結器と連結器の種類が異なるため、電車を機関車で牽引して回送する時など種類の異なる連結器同士を繋ぐ場合は、このようなアダプターを介する必要がある。 (左)「流電」とスニ30の間にはキハ181-1が居る筈だったが、整備中なのかこの日は見られなかった。(説明の看板のみ置いてあった) (中)キハ48000形3等ディーゼル動車。 昭和28年より製造された10系気動車の両運転台バージョン。後に形式名が改称されキハ11形となる。 本車は国鉄から茨城交通に譲渡され、同鉄道で廃車後レールパーク入りしている。 (右)キハ48036(左側)とクヤ165-1(右側)の連結部分。 自動連結器-アダプター-密着連結器…とアダプターを介して異なる種類の連結器を持つ車両が連結されている。 …つづく。
犬山市に有る名鉄系の遊園地日本モンキーパーク関連のネタ2題です。
・モノレール線のモノレールを園内に保存 昨年12月末に廃止されたモノレール線の車両のうち、MRM101とMRM201(先頭車と中間車各一両)を登場時のシルバーに赤帯の塗装を再現した上で、園内の動物園駅跡にて保存展示するそう。 通常は車内は公開されず、隣接するエリアの柵外より見学することになるよう。 3/19に設置を完了する。 ・「おとぎ列車」復活運転中 園内の遊具のひとつに「トーマスとジェームスのハッピートレイン」というものが有ったが、今年一月に営業を終了していた。 今回3月中の土日を中心に期間限定で「復活運転」しているそう。期間等はリンク先をご参照。 「トーマスとジェームスのハッピートレイン」、以前は「おとぎ列車」と言う名前で運転されており、森林鉄道のような雰囲気だった。 路線の両端ではターンテーブルを使用した機回しもアリ。
お正月の撮影レポート最終回は吉良町及び蒲郡編です。
(左)新安城より名鉄西尾線に乗り換えて… (右)上横須賀駅にて下車。 以後は徒歩にていくつかのポイントを回ってみる。 ・華蔵寺 境内には吉良家の墓所が有り、御影堂では吉良上野介義央の木像(県指定文化財)を見る事が出来る。 ・花岳寺 (中)入り口の横にあった吉良義央の銅像。 全国的には忠臣蔵の悪役として知られる吉良上野介義央だが、地元では名君と言い伝えられており、農耕用の赤馬に乗り領地を見回る様子を象った銅像が各所に見られた。 (右)花岳寺の本堂は1684年の建築で、貴重な17世紀末の典型的臨済宗寺院の本堂として国の登録有形文化財に指定されている。 ・岡山陣屋跡 吉良家の館が有った場所。 (右)上空をB-747LCLが飛んでいった。 ・白瀬矗中尉のお墓 日本人で始めて南極に立ち、砕氷艦「しらせ」の間接的な名前の由来である白瀬矗中尉のお墓は、夫人が晩年をこの地で過ごした縁により、吉良町瀬戸の西林寺境内にある。 (左)お墓の周囲には南極大陸の地図等が作られてあった。 (右)由来を記した石碑の傍らにはペンギンの銅像が建てられてあった。 (左)現地の各ポイントは徒歩にて移動しましたが。通常の時期はレンタサイクルがあるそうです。(当日はお正月休みだった) 以前訪れた赤穂は、観光地観光地してい (右)と言う事で、上横須賀駅より再び名鉄電車に乗る。 次の目的地(?)は、路線の存続が取り沙汰されている名鉄蒲郡線。 (左)碧南-吉良吉田間の三河線「海線」は2004年に廃止されている。写真は吉良吉田駅の蒲郡線ホーム(以前は三河線用だった)から見た碧南方向の状況。 (右)吉良吉田駅よりの蒲郡線はワンマン仕様の6000系が使用されている。 (左)6000系@ワンマン仕様の車内。 運転席後部の一部座席が撤去され、料金箱が設置されていた。 (右)運転席にもワンマン運転用の機器が追加されている。 (左)三河湾の車窓風景を眺めつつ蒲郡へと向かう。 路線の存続問題が取り沙汰されつつある区間なので、残念ながら乗客の数はそれなりな感じだった…。 (右)蒲郡駅に到着。 方向幕の切り替え中でたまたま「準急」が出てるのは気にしない方向で…(^_^;) (左)蒲郡駅前には、アメリカスカップに参戦したヨット「ニッポン・チャレンジ」(1号艇らしいです)が展示されていた。 蒲郡市内には、竹島桟橋付近とラグーナ蒲郡に各一隻(2号艇と3号艇)ずつ「ニッポン・チャレンジ」が保存されているそう。 (中・右)蒲郡よりの帰路はJRを利用。 名古屋まで行くならば名鉄よりもJRの方が安くて速くて料金も安いのが、名鉄蒲郡線存亡の危機の原因の一つ。 117系使用の普通列車が来たので、快速より時間がかかるのを承知で乗車しマッタリと帰還しました。
お正月の大阪取り鉄作戦「大阪冬の陣」レポート最終回は、帰りの近鉄特急の時間待ち(と言うか、わざと余分に時間を取ってある)に撮影した近鉄奈良線の電車の写真です。
(左)奈良線の電車が発着する上本町駅地下ホームで並ぶ、従来の主力8000系(左側)と、阪神との直通運転開始に備え配備が進むシリーズ21(右側)。 (中)シリーズ21の並び (右)21000系「アーバンライナーPLUS」の並び (左)京都市営地下鉄乗り入れ用の3200系だが、奈良線での運用につくことも有る。 (中・右)数が減ったとは言え、8000系もまだまだ健在。 (左)先ほどの3200系が難波から戻ってきた (中)21000系「アーバンライナーPLUS」 (右)12200系「スナックカー」のみ8両で組成された特急。 (左)「スナックカー」の特急と奈良線普通電車。 (中)30000系「ビスタEX」の特急。 (右)「大阪 難波」の行き先を掲出したシリーズ21。 3/20の阪神との直通開始と同時に「近鉄」難波駅は「大阪」難波駅へと改称されのに備え、一部の車両は「大阪難波」の行き先表示を出しているとの事で、今回はそれ狙いで上本町のホームに立っていたのだが、待っている時に限ってなかなかやって来なかったりしていた(お約束)。 …でも出来ればLED表示のものではなく、方向幕のそれが撮りたかったなー、と思っていると… (左・中)今度は「大阪 難波」の方向幕を装備したLCカーがやって来た。 (右)さらに、「大阪 難波」の方向幕を装備したLCカーのラッピング広告車もやって来た。 撮りたい物が取れた所で、時間切れにて撤収しました。 今回の大阪遠征は概ね撮りたかった物が撮れました。
引き続き阪堺電気軌道撮影レポートです。
言い忘れていましたが、阪堺電軌の撮影/移動には全線1日フリー乗車券 てくてくきっぷを利用しています。 帝塚山四丁目駅へ移動し引き続き撮影。 この停留所は併用軌道区間のドンツキ(専用軌道に替わった所)にあるので。道幅が狭く歩道の無いこの区間に於いて、ホーム付近より安全に併用軌道の撮影が出来る。 旧南海大阪軌道線塗装のモ163とモ162が並ぶ。(阪堺電軌軌道は1980/昭55年に南海から分社化され誕生した会社) モ163には阪堺電軌のマスコットマークをあしらった副票が取り付けられている。 (左)南海旧塗装のモ170とすれ違っているのは351形(モ353)。 351形は旧式車の機器を利用し車体を501形(後述)並みのものに乗せ替えた車両で、1962~1963年に合計5両が登場しており、後年冷房化改造も行われている。 (右)501形(モ501) 1957年に、路面電車の最盛期と言える当時の最先端技術を用いた車両として5両が登場している。 前面は大阪市電3001形に似ているが、側面窓は当時の南海電車に似た一段降下窓を採用している。 501形のうち全面広告では無い車両には雲をかたどった塗装が施され(通称雲電車)、501形就役50周年記念のステッカーが貼られてある。 現在の阪堺の主力である601形(左側)と701形(右側)のすれ違い。 701形は1987~1995年の間に11両が製造された電車。当然ながら当初より冷房を搭載している。 601形は旧式車の一部器機を流用し701形並の主要器機及び車体等を新造した電車。1996~1998年に7両が登場している。 (左)車齢50年のモ501も、車齢80年のモ162と比べるとまだまだ「若手」? (中)161形のうち、全面広告やリバイバル塗装ではない車両は、やや明るめのグリーンに白帯の塗装。 (右)帝塚山四丁目から住吉方面の線路は、南海高野線と立体交差するためS字を書いた勾配になっている。 (左)東天下茶屋駅で降りて阿倍野清明神社へ寄ってみる。 (中)東天下茶屋駅付近にて。 (右)東天下茶屋駅の一角にあった馬車鉄道跡の石碑。 傍らの解説文等によると、1897(明30)に創立した大阪馬車鉄道(※)が、1900(明33)年に天王寺西門前-東天下茶屋間を開業したのが、今日の阪堺電軌軌道の始まりだそう。 その後馬車鉄道は住吉まで延長されるも、電化のため1908(明41)年に一旦廃止され。1910年に電車での営業が始まっている。 ※馬車鉄道とは、レール上に乗った車両を馬が引く形態の鉄道。蒸気機関の実用化/普及以前の鉄道の動力は馬だった。 鉄のレールの上を鉄の車輪により走行するため走行抵抗が小さく、通常の馬車より輸送力が大きい。 阿倍野駅へ移動。 (左)旧南海大阪軌道線塗装のモ162がやってきた (中)標準塗装のモ167と並ぶ。(歩行者信号が青の時に横断歩道より撮影) (右)今度は南海旧塗装のモ170が来た。 天王寺まで歩いて移動しつつ、折り返してきたモ167を撮影。 (左)天王寺駅前駅付近の状況。 画面右手方向、あべの筋の西側は再開発のため更地になっていた。 (中・右)前の電車に続き出発してゆくモ164。駅手前では、次の電車が待機中。 |
時計
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口上
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