または私は如何にして心配するのを止めて兵器を愛するようになったか
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順番が前後しちゃいましたが、今月初めの帝都遠征の際に撮影した電車の写真を何回かに分けてご紹介します。
東武と言いつつ、まずは鉄博へ行く途上の新宿駅で撮影したJRの電車の写真。 (左)横須賀線色の113系。まだいるんだね~ (右)E257系の特急「かいじ」 さて此処からは東武編。 総営業キロ数463.3kmは名鉄を抜いて 写真は東武野田線大宮駅に停車中の「白いヤツ」(カギカッコ内の名称は、形式等を殆ど下調べせずに撮影に行った私が、便宜上現場で付けていた脳内愛称です(^_^;))こと8000系。 野田線と伊勢崎線の乗換駅である春日部に到着。此処で暫し撮り鉄。 (左)乗り入れてきた東京メトロ半蔵門線用の8000系。 (右)「(東京メトロ)日比谷線に乗リ入れるヤツ」20000系。 (左)「快速用」6000系。2扉固定式クロスシート…と言う、路線が長大な東武ならではの他の大手私鉄では余り類を見ない車両。 (右)「コルゲートのヤツ」10000系。 現地にてお話を伺った地元のファンの方のお話では、新車の投入に伴い近々本形式の伊勢崎線から野田線への転属が始まるとか始まらないとか… (左)メトロ日比谷線から乗り入れてきた03系。 回送列車として春日部駅の中線似て待機中。 (右)「古い『りょうもう』」300系または350系。 かつては急行「りょうもう」に使用されていた1800系を改造して誕生した形式。 (左)「新し目のステンレス車」30000系。 メトロ半蔵門線及びその先の東急田園都市線乗り入れ用の車両。 (右)「オレンヂ色のヤツ」50000系。 目下増備が進んでいる通勤車で、関東私鉄各社に増殖中な、JR東日本E231系の兄弟車(同型車)のひとつ。この50050型は30000系に替わる半蔵門線乗り入れ対応車。 (左)「新しい『りょうもう』」200系または250系が通過してゆく。 急行だった「りょうもう」は現在特急に格上げされている。 (右)「白いヤツ」8000系。 東武の通勤車といえばコイツなイメージだったが、見た限りでは新車に押され気味なのか、野田線はともかく「本線」である伊勢崎線では少数派な印象だった。 北千住へと移動。 (左)乗り入れてきた東急8500系。 この車両は東急のグループ会社で、譲渡された東急8000系が活躍している伊豆急の塗装を纏っていた。 (右)10030型。10000系のマイナーチェンジ型。前面がFRPになる等している。 北千住駅の特急用ホームに停車する100系スペーシア。 北千住下りの特急乗り場は、通常のホームの日光方先端にあり、境界に改札があり特急券を持たない乗客は立ち入れないっぽいので、一般用ホームの先端より無理やり撮影。(^_^;) 曳船駅へ移動。 写真は此処より分岐している亀戸線にて使用されていた8000系ワンマン車。 (左)東急8500系。こちらは通常の塗装車。 ワタシは何の愛想もない輸送機械然としたこの電車の事が結構好きだったりします。 (右)特急「りょうもう」が通過してゆく。 (左)メトロの8000系。 (中)乗り入れてきた「東急の新車」5000系。 こちらもJR東日本E231系の兄弟車のひとつ。投入路線によって帯の色が異なる。 これが撮れたので一通り抑えた事になるのかなー? (右)そんなこんなで浅草に到着。 この日の宿営地は浅草なので、直ぐに宿へ行ってもよかったのだけども、折角浅草に来たので…と疲れた体を引き摺って浅草寺に参拝してみる。 それなのに…嗚呼それなのに、おみくじを引いたら「凶」とはあんまりな仕打ち(^_^;) PR
名鉄7000系パノラマカーの一部は、特急用の「特別仕様車」して車内をグレードアップされ、それを示す白帯びを巻いていた。
これらの車両は、特急運用から撤退した後に白帯は撤去されたが、前面の行き先表示板は白帯に合わせて変更された小降りなのもがついたままで、異彩を放っていた。 このほど、現在現役に留まっている7000系のうち、最後の「元白帯車」である7011以下4連に白帯が復活し、それを記念する臨時列車が昨日中小田井-三柿野間で運転されたので撮影してきました。 先ずはその前に、定期列車の7000系を撮影すべく早朝の西春駅に展開。 行き交う列車を撮影してウォーミングアップ(^。^;) 土休日朝に設定されている東岡崎発犬山行891列車は、途中の鳴海にて7000系の増結用などとして製造された7700系を連結した6両編成で運転される。 …って、この日は7000系の中間車に運転台を取り付けた、2両編成1本のみの「珍車」7100系が増結されていた。 後続の急行にて一度891列車を追い抜き、布袋駅でもう一度撮影。 ちなみに、6月のダイヤ改正直後に布袋駅にて疎開留置されていた7000系6連×2本は、居なくなっていました。 本命の7000系@白帯車を撮影すべく、羽場駅へ移動。 眼下に見える有名撮影ポイントには既に大勢の同業者が集結しているようだった。「見ろ! 人がゴミのようだ!!」状態?(^。^) そんなこんなで白帯車キター! 系統板は「祝・白帯復活」の特別な物、種別は「団体」をそれぞれ掲出していた。 前後とも展望室は大惨事…もとい!大盛況。特に前部展望室のカメラの砲列が凄い(^。^;)。 この後、三柿野駅にて撮影会が実施されていましたが、同業者が多くて
鉄博レポート最終回は、引き続きヒストリーゾーンの保存車両とその他の展示物等です。
写真は、鉄博の横を通過してゆく埼京線の205系電車。 ・6.新幹線の誕生 (左)20-25(0系新幹線電車) 言わずと知れた初代新幹線車両。 旧交通博物館よりのカットボティが展示されているが、先日JR西日本より完全な先頭車両の寄贈を受けており、今後の展示が期待される。 (右)222-35(200系新幹線電車) 東北/上越新幹線用の車両。各種の雪対策が施されている。 ・7.鉄道による貨物輸送 DD131(DD13形式ディーゼル機関車) 1958(昭33)年から1967(昭42)年までに416両が製造され、貨物駅の入替の他支線区等での小運転にも用いられた他、各地の私鉄でも同型車や国鉄から払い下げられた車両が使用された。 進行方向が頻繁に替わる入替作業に用いる為運転室は車体中央に設けられ、運転席は横向きに設置されている。 展示されているのはDD13の初号機で、登場当時の塗装に塗られている。1灯式のヘッドライトが初期型の特徴。 EF6611(EF66形式直流電気機関車) 最高速度100km/hと言う高速貨物列車を牽引すべく登場した高出力の電気機関車。後に東海道本線系統のブルートレインの牽引も行うようになった。 (左)コキ50000(コキ50000形式コンテナ貨車) 高速貨物列車に用いるべく製造されたコンテナ用の貨車。各種コンテナを搭載した状態で展示されている。 (右)レムフ10000(レムフ10000形式冷蔵緩急車) 九州方面から東京・大阪へと鮮魚を輸送する特急鮮魚貨物列車(※1)用に製造された貨車で、氷若しくはドライアイスにより車内を冷やしていた。 本形式は車掌室を設置しているタイプ。 ※1:長崎-東京間の列車には「とびうお」、博多-大阪間の列車には「ぎんりん」と言う愛称がついていた ・8.御料車の歴史 御料車は全てガラス越しに展示されおり上手い事撮影できなかったので、一部のみご紹介。 (左)初代1号御料車 1877(明10)年、京都-神戸間の鉄道開業式の際に初使用された御料車。 (右)初代2号御料車 1902(明35)に熊本県で開催された陸軍大演習のため明治天皇が行幸する事となり、お召し列車に使用すべく九州鉄道にて使用されていた「貴賓車」を改造したもの。 ドイツの技術を取り入れていた九州鉄道らしく外観はヨーロッパ風だが、御料車への改造に際し内装は和風のものに改められているとの事。 ・ヒストリーゾーン2階 閉館時間が迫りつつあったので、ここら辺りから駆け足で見学しています。 ヒストリーゾーンの2階から、1階の保存車両を見る事が出来た。 (右)C57は転車台の上に乗っており、決められた時間になると転車台ごと回転する様子が見学できるそう(※2)。 ヒストリーゾーン2階には、国鉄~JRを中心に日本の鉄道の歴史に関する展示が有った。 (左)鉄道院(後の国鉄)/朝鮮総督府鉄道局/南満州鉄道連名のポスター (中)左側は敗戦後日本を占領した米陸軍・第8軍の専用列車「OCTAGONIAN(※3オクタゴニアン)」のテールマーク。 右側は、敗戦後初めて復活した特急列車「へいわ」のテールマーク。 (右)国鉄本社に掲げられていた「日本国有鉄道」の看板と、「こんにちは JR東日本」のヘッドマーク。 ※2:ワタシは15時過ぎに到着したので見る事が出来なかった。 ※3:数字の「8」の意味 ・模型鉄道ジオラマ 25m×8mのスペースに総延長1400mのレールを敷いたHOスケール(※4)の鉄道模型レイアウト。 列車同士が衝突しないようATSが装備されているそう。 (右)汎用人型決戦兵器登場?! …ではなくて(^。^;)、線路のメンテナンス(クリーニング)中。 閉館間際ならではの光景かも?! ※4:在来線車両は1/80、新幹線車両は1/87スケール ・ラーニングゾーン ラーニングゾーンは鉄道の仕組みなどを解説しているエリア…。なのだけども時間が無かったので、大急ぎで回ったのみ。 (左)駅業務を体験できる「駅施設ラボ」に置かれていた103系電車の前頭部。 (右)本物のパンタグラフの上げ下げを体験できるコーナーが有った。 この期に及んで、交通博物館時代からのものと思われる史料が大量に保管/展示されているコーナーを発見! orz せめて此処はもう少しゆっくり見て回りたかったなぁ…(^。^;) ・ノースギャラリー 最後に「ノースウイング」地区へと戻り、10系気動車の横にある「ノースギャラリー」へ行く。 此処は有料エリア外(つまり博物館の外)で、一旦出てしまうと再入場手続きが必要…との事で一番最後に回る事にしたところ。 「ノースギャラリー」の中には、修学旅行用に作られた167系電車のモックアップが置かれている。 …と言う事で、閉館時間がやってきて強制的に状況終了(;^-^A 15時過ぎから閉館時間の18時まで3時間弱の見学時間が有った訳ですが。前述のように展示車両をゆっくり見て回ったため、その他の展示は駆け足で見る事しか出来ませんでした。 初鉄博で尚且つゆっくり見て回りたい方は、それ以上の見学時間を見ておかれた方が吉?! アノ車両が無い、この車両が無い…等と、ご不満の向きもあるのでしょうが、ワタシは鉄道のみをテーマにこれだけ立派な博物館が出来ている事を素直に喜びたいと思います。 写真は博物館正面入り口付近から見たプロムナード。画面奥の明るい所がニューシャトルの鉄道博物館(大成)駅。 今気がついたのだけど、天井の装飾はダイヤグラムを模しているよう。
引き続き鉄道博物館の保存車両の写真です。
今回はみんなが大好きな「国鉄型車両」の登場だお!(爆) ・4.大量輸送と電化時代 ~昭和30年代~ EF58 89(EF58形式直流電気機関車) 1946(昭21)年から1958(昭33)年にかけて172両が製造された旅客列車用電気機関車で、特急列車の牽引にも使用され、ファンからは「ゴハチ」の愛称で親しまれた。 この89号機は多くの仲間が引退した後も1999年まで動態保存機的に現役に留まってた車両で、ファンからは「パック」と呼ばれていた。 (右)「パック」の萌えポイントは正面窓上のヒサシ。 トンネル内のツララを切り前面ガラスを保護するために装備されていた。 ナハネフ22 1(20系寝台客車) 近代的な設備で「走るホテル」と呼ばれた寝台車。最後尾の車両は丸みを帯びたデザインだった。 電化区間の延伸にとも無い蒸気機関車が減り煤煙による汚れを考慮しなくても良くなってきたことから、車両の塗装は戦前のチョコレート色(※1)から科らフルな塗装へと変化してくる。 私鉄も含めこの年代より無塗装のステンレス車が大勢を占め始める1990年代辺りまでが、私鉄を含め鉄道車両が最もカラフルだった時期と言えそう。 (右)車内には寝台をセット中の係員さんを模した人形などが置かれていた。 クモハ101-902(101系直流通勤型電車) 戦前よりの吊り掛式に替わり、カルダン駆動方式を採用し「新性能車」と呼ばれた一番最初の形式。1957(昭37)年から1769(昭44)にかけて1535両が量産されて101系だが、本車はそのプロトタイプ車。 性能の向上に伴いブレーキの鉄粉による汚れが目立たなくなった事から、客車同様電車もカラフルな塗装を纏うようになり、首都圏や関西圏の各線に投入された本形式や改良型の103系等の通勤型電車は、投入線区ごとに異なる塗装を纏っていた。 (中)101系の手前に置かれている台車は、実際にモータとブレーキの操作を体験する事ができる。 (右)車内はおなじみな感じ。 クハ181-45(181系直流特急形電車) 国鉄初の「特急形電車」として1958(昭38)年に登場した151系の、モータをより出力の高いものに交換するなど改造するなどして誕生した形式。 110km/hと当時としては例の無い速度(※2)で運転するため運転席は2階に上げられ、客室の静寂性を高める為、コンプレッサ等騒音を出す機器はボンネットの中に納めらている。 (左)ボンネットにはJNRマークが輝いているほか、2階に上げられた運転席から後方(ホーム)を確認する為のバックミラーがついている。 (右)運転席はこんな感じ。運転室内には立ち入れなかったので視界がどんな感じかは確認できず。 (左)客室はこんな感じ、やや古さは感じるもののこちらもお馴染な感じ。 (中)車内販売のお姉さんを模した人形とワゴン。近年は合理化のため減ってしまった光景のひとつ。 (右)181系のベースとなった151系特急電車は、「こだま」「つばめ」等新幹線開業前の東海道本線の特急に使用されていた。 その151系にはパーラーカーと呼ばれる1等車が連結されていた。 写真はそのパーラーカーで使用されていたフリーストップ式の一人掛けシートと列車電話。 ※1:正式には「ぶどう色2号」 ※2:それまでの最高速度は100km/hだったそう ・5.全国に広がる特急網 ~昭和40年代~ 九州・北陸・東北・北海道の各地域の電化は交流にて実施された。 このゾーンでは交流区間用に製造された車両が展示されていた。 クモハ455-1(455系交直流急行形電車) (左)直流急行形電車165系の交直両用バージョンで1965(昭40)年に登場。 当時は特急網を補完する様に長距離の急行列車が多数運転されていた。 (右)車内の状況。外観は登場時の「交直流急行色」だったが、車内は晩年のまま。 後年、新幹線の延伸や特急列車への統合等で急行列車は衰退。急行形電車も普通列車としての使用が多くなり、デッキ付近の座席をロングシート化するなどの改造を受けた。 座席のモケットも紺色のものからオレンジ色のものに変更されている。 クハ481-26+モハ484-61(485系交直流特急型電車) (左)1964(昭39年)に登場した本形式は、181系特急電車の交直流バージョン。 直流専用の181系との識別用に、ヘッドライトケース上部に交直両用を示す「ヒゲ」が画かれてある。 「ホーム」上にはヘッドマーク交換作業中(?)の係員を模した人形が置かれてあった。 (右)中間車であるモハ484も連結された状態で展示されていた。 (左)階段により、モハ484のパンタグラフ付近を間近に見学できるようになっていた。 直流より電圧の高い交流電化(※4)に対応して、多くの碍子の上にパンタ等の機器が設置されている。 また、架線の側は交流電化と直流電化の境界に設けられるデッドセクション(※5)を再現している。(画面手前の白っぽい架線の部分) この区間は電気が通っておらず、交流~直流区間を直通する列車はこの間を惰性で通過しつつ機器の切り替えを行う。 (右)クハ481とED75 ED75775(ED75形式交流電気機関車) 1963(昭38)年から1976年までの間に302両が製造され、北陸地区を除く全国の交流電化区間に配置され、特急列車から貨物列車まで広く使用された。 展示されている700番台車は、東北地方日本海側(※6)で使用するため、耐雪/塩害対策が施されている。 (左)上野-青森間(奥羽本線経由)で運転されている寝台特急「あけぼの」のヘッドマークが取り付けられていた。 (中)反対側のエンドには、上野-札幌間(「北斗星」と同じルート)にて運転されていた臨時寝台特急「エルム」のヘッドマークが付いていた。 ※3:輸送力が比較的多いため、運転本数が多く編成も長い=車両の所用数が多い線区は、地上設備のコストがかかるものの車両側のコストは安くつく直流電化が。逆に輸送力が比較的少なく、車両の所用数が少ない線区は、車両側のコストが高くつくものの地上設備のコストが安くつく交流電化の方がそれぞれ有利と言われている。 ※4:直流は1500V 交流は20000V ※5:日本語で言うと死電区間 ※6:奥羽本線や羽越本線 つづく
引き続き、勝手に鉄道の日&鉄博開館1周年記念企画、鉄博見学レポートです。
・2.全国に広がる鉄道網 ~大正期~ デ968(デ963形式電車・元松本電鉄ハニフ1形式) 今のJR中央線の前身である甲武鉄道が、1904(明37)年に自社工場で製造した(※1)電車。 甲武鉄道は後に国鉄に買収されたので、このとき製造された一連の形式が初の国鉄電車となった。 本車は後に信濃鉄道へ譲渡された際に客車化され、さらにその後筑摩鉄道(現在の松本電気鉄道)へと譲渡され、1948(昭23)年まで使用された後松本電鉄にて保管され、鉄道博物館開館に合わせ松本電鉄より寄贈されたもの。 目下のところ「ハニフ1」として展示されており、デ968への復元は今後検討されるとのこと。 ナデ6141(ナデ6110形式電車) ナデ6110形は、東京地区で使用するため1913(大2)から1914年にかけて12両が製造された電車で、日本最古のボギー台車式大型電車。 (中)当時はポール集電だった。 (右)全長16mながら、3扉ロングシート構造でつり革が下がると言う今日の通勤電車とほぼ同様の構造をもっている。 キハ41307(キハ41300形式気動車) 当初はガソリンエンジンを搭載してガソリンカーとして1933(昭8)年に登場したが、日中戦争によるガソリン価格の高騰や西成線脱線/炎上事故の影響により天然ガスを動力源にするよう改造され。さらに1952(昭27)年にディーゼルエンジンを動力とするディーゼルカーへと改造された。 本車は国鉄では廃車後各地の地方私鉄を転々とした後、1987(昭62)年に廃止された筑波鉄道と運命を共にした。 その後本車を保存していたキハ04 8保存会より寄贈を受け鉄道博物館入りした。 (右)車内の状況。 非力なガソリンエンジンを動力とするため車体は出来る限り軽量化が為されており、座席の背もたれもやや低いよう。 9856(9850形蒸気機関車) 1911(明44年)、東海道本線の箱根越え区間(※2)に用いるため試験的にドイツより輸入された蒸気機関車。 シリンダと動輪が2組みある「マレー式」と呼ばれる機関車だが、構造が複雑なため使用は短期間に終わり、本車は旧鉄道博物館での展示用として1924(大13)年に廃車され、蒸気機関車の構造を解説するため、車体の各所が切断されている。 ED4010(ED40形式直流電気機関車) こちらも難所であった碓氷峠で使用するため、1919(大8)年より製造された電気機関車。 本車は国鉄で廃車後東武鉄道で使用された後、1968(昭43)年に保存のため国鉄へ寄贈されたものとのこと。 (左)運転台は坂下側である横川寄りにのみ設けられていた。 (中)軽井沢方の妻面には抵抗器が載っている (右)当時の碓氷峠では、歯車をアプト式と呼ばれる方法にて勾配を克服していた。 床下にはラックレール及び歯車が再現されて(※3)おり、半地下になっている見学コースに下りると、その構造を見学する事ができる。 このラックレールは透明な素材で作られているか、本物は当然ながら鉄製。 ED171(ED17形式直流電気機関車) ED17は1923(大12年)に英国より輸入したED50形を1931(昭6)年に改造して誕生した形式。 明治末期から大正期にかけては、全国の路線の電化工事が進められていた。 国鉄バス第1号車 1930(昭5)年に初の国鉄バス路線である岡崎-瀬戸-多治見間で使用するために使用された車両。 当時の自動車は輸入車が多かったが、本車は国産車。 ※1:モータ等米国よりの輸入品に国産の木造車体を組み合わせて製造された。 ※2:丹那トンネル開通後は御殿場線と改名。 ※3:東武鉄道時代にアプト式の機器は撤去されていた ・3.特急列車と通勤輸送の始まり ~戦前・戦後~ (左)C511(C51形式蒸気機関車) 「高速化」と「大量輸送」を命題に計画され、1919(大8)年より1928(昭3)年までに289両が量産された、国産初の高速旅客用テンダ式(※4)蒸気機関車。 (右)C57135(C57形式蒸気機関車) 細身の外観から「貴婦人」との愛称を持つ本形式は、C51よりの流れをくむ旅客列車用の蒸気機関車で、1937(昭12)年から第二次世界大戦を挟み1947(昭22)年までに201亮が量産された。 この135号機は1975(昭50)年に北海道で国鉄最後の蒸気機関車牽引による旅客列車を牽引した後、交通博物館にて展示されていた。 マイテ3911(マイテ39形式1等展望客車) 特急列車の最後尾に連結されていた展望客車で、本形式は1930(昭5)年に製造された。 (中)展望室内は桃山様式で外国人には評判が良かったが、日本人には霊柩車や仏壇を連想させ不評だったとか…(^_^;) オハ3126(オハ31形式客車) 1927(昭2)年より製造された3等客車(※5)で、それまでの木製から骨組みと外販を鉄製に改めた「半鋼製」客車。 (左)車体に並ぶリベットが特徴的。当時ままだ溶接技術が未熟だったのでリベットを多用したよう。 (中)車内の様子。本車は1960(昭35)年に津軽鉄道へ譲渡され、1983(昭60)年まで津軽鉄道名物「ストーブ列車」に使用されていた。 そのため写真左手中央部の座席が撤去されストーブが置かれていた跡が残る。 ダブルルーフ(二重屋根)の天井構造にも注目。 (右)津軽鉄道時代の塗装が残る外板の一部などが車内に展示されてあった。 津軽鉄道より寄贈された本車は、展示に辺り戦前の茶色の塗装とされているが、ちゃんとした外観の写真を撮るのはウッカリ失念(爆) クモハ40074(クモハ40形式直流通勤型電車) 1932(昭7)年から1936(昭和11)の間に80両が製造された。 所謂「旧型国電」と呼ばれるグループの一員で、20m3扉ロングシートの本形式は戦前を代表する「通勤型」電車。 前面のデザインは当時世界的に流行した流線型を取り入れている。 (左)車内は木造。この手の旧型電車が好きなワタシのツボ押し捲り(^_^;) ドア付近には乗客が掴まる為のスタンションポールが立っている。 (中)車内の一隅には、当時のラッシュを再現した人形が置かれてあった。 (右)この場所に座ると、床下より吊り掛けモータ車の振動が伝わってくるようになってました。これまた妙なツボを押して来るなー(^。^;) ※4:機関車の後部に石炭及び水を搭載した「炭水車」を連結したタイプの機関車 ※5:今でいう「普通車」 つづく
イベントレポートを優先し、国際航空宇宙展レポーに続き守山駐屯地祭レポートを…と思っていましたが、よく考えたら
10月14日は鉄道の日 ですやん! …と言う事で、勝手に鉄道の日&祝・鉄道博物館開館1周年記念企画として、「てっぱく」見学のレポートをお送りします。(^。^) ・「鉄博」への道 都内での所用を (左)たまたまやって来た湘南新宿ラインにて大宮へ到着。 当然ながら埼京線等他の路線でもオッケー(※2)。 (右)大宮にて新交通システムのニューシャトルに乗り換え。1区間のみ乗車して鉄道博物館(大成)駅にて下車する。 ニューシャトルの車両には、鉄博開館1周年記念のヘッドマークが貼られてあった。 (左)鉄道博物館(大成)駅は、鉄博開館にあわせ従来より有った大成(おおなり)駅を改称・改装したもの。駅は東北/上越新幹線の高架下にある(※3)。 (右)鉄道博物館(大成)駅より鉄博入り口までは徒歩1分。この間は鉄博へのプロムナードとして整備されていて、交通博物館時代に玄関横に展示されていたD51の ※1:開館から一年近く経つ鉄博だが、土日祝日等学校が休みの日は結構混んでいるらしい。 ※2:東武野田線北大宮駅より約1.3km・徒歩16分と言う手もあるらしい。 ※3:新幹線建設に伴う地元見返り策と言う側面もあるニューシャトルは、東北/上越新幹線の高架に並走する形で建設されている。 ・屋外の展示車両等 現着したのが15時過ぎだったので、暗くなる前に…と屋外の展示車輌等を撮影。 キハ11 25(元茨城交通キハ112) キハ10系気動車は1953年が製造初年。 この車両は鉄博唯一の動態保存(※4)車両で、そのため屋内に展示されてある他の静態保存(※5)車両とは別に、博物館北端「ノースウイング」の屋外に展示されてあった。 (左)10系気動車の萌えポイント(笑)の一つがこの「バス窓」。 2段式の窓のうち上段窓をHゴムにて固定する方法で、当時のバスに同様の手法が多く見られたためこう呼ばれる。 冷房はついていないので下段の窓は開閉可能。 (右)キハ11の停車している線路は、博物館の外へと繋がっている。 直ぐ隣を、埼京線経由で乗り入れてきたりんかい線電車が通過していった。 (左)団体客などの休憩スペース「フレンドリートレイン」として置かれている455系急行電車。 手前はノースウイングの博物館北駅と本館の博物館中央駅を走る「ミニシャトル電車」。E2系新幹線電車を模している。 (右)鉄道車両を利用した休息スペースとしては、183系及び189系特急電車計4両を利用し本館南の屋外に設けられた「ランチトレイン」も有る。 ※4:実際に走行可能な保存車両 ※5:走行は出来ない状態の保存車両 ここからは、鉄博のメイン展示物である「ヒストリーゾーン」の保存車両の写真を… ・1.日本の鉄道の黎明期 ~明治期~ 1号機関車(150形式蒸気機関車)+明治期の客車(レプリカ) (左)1872(明5)年10月14日に新橋-横浜間にて日本最初の鉄道が開業した際に、英国より輸入された10両の蒸気機関車のうちの1両。 最初に陸揚げ/完成検査を受けた事から「1号」が振られたそう。 (右)下等(三等・今日の普通車)客車は複製品。 英国風に、客室を進行方向に貫通する通路が無く、向かい合わせに座る各区画ごとに乗降用のドアを設けた「コンパートメント式」の客車。 屋根上に乗っている人形は、客車の天井に吊るす灯油ランプを挿入中の鉄道員。 1号機関車は1911(明44)年に、同年開業した島原鉄道へと払い下げられるが、1930(昭5)年に旧・鉄道博物館の史料充実の為国鉄へと返還された(※6)。 1号機関車の左側面には、このとき取り付けられた島原鉄道社長の手による「惜別感無量」のプレートが見られる。交通博物館時代は、こちら側の側面は壁沿いだったので見る事が出来なかった。 1292「善光号」(1290形式蒸気機関車) 後の国鉄東北本線等を建設した日本鉄道が路線建設工事に用いる為1881(明14)年に輸入した小形の蒸気機関車。 船により輸送され、現在の川口市に有る善光寺(※7)の裏手付近にて陸揚げされた事から「善光号」との愛称がつけられたそう。 7101「弁慶号」(7100形式蒸気機関車)+開拓使号 (左)手宮-札幌間に開業した北海道初の鉄道に用いる為、1880(明13)年に米国より輸入された蒸気機関車。 車体全面には牛との衝突にそなた「カウキャッチャー」、煙突には火の粉の飛散を防ぐ「ダイヤモンドスタック」を装備するなど、アメリカンスタイルな機関車。 最初に輸入された8両中6両には、源義経一行が北海道に落ち延びた…との伝説から「弁慶」の他に「義経」「しづか」(※8)等の愛称が付けられている。 (右)機関車同様、客車もアメリカンなデザイン。 この客車は北海道開拓の長であった開拓使用の車両で、いわばVIP専用車と言うか有る意味政府専用機的な客車で、当時としては珍しかった転換クロスシート等が装備されているそう。 (左)ペリー提督が献上した模型蒸気機関車の模型(ややこしいな! ※9) 技術的優位をアピールし開国を迫るために献上した機関車の、1/4スケールの模型だそう。 (右)人車。電気で動くから「電車」人力で動くから「人車」 この車両は1922(大11)年開業し、1928(昭3)年にバス転換のため廃止されるまで、東北本線松山駅前から松山町中心部まで約2.5kmを営業していた松山人車鉄道の客車で、当時の最先端技術だったボールベアリングを用いる軸受けを採用する等して、定員8名の客車を1人で押すことが出来たのだそう。 ※6:この時の経緯を題材に描かれた絵本「きかんしゃやえもん」は、ワタシの幼少期の愛読書(^。^) ※7:長野市に有る善光寺の末寺 ※8:「義経号」は大阪の交通科学館、「しづか号」は小樽の小樽市総合博物館にて保存展示中。 ※9:本物は焼失したとのこと つづく
10/3(金)は、所用にて上京し…
時間が空いたので大宮の「てっぱく」へ… その後、初めて立ち寄った浅草寺にて半ば記念に…とおみくじを引くと… (゚д゚) (つд⊂)ゴシゴシ (;゚ Д゚) 凶てー!!Σ(゚д゚lll)ガーン 気ぃ悪ぅ~ 翌10/4(土)は横浜へ移動し… 国際航空宇宙展を見学して名古屋へと戻る。 10/5(日)は… 守山駐屯地祭へと行って来ました。 例によって詳しくは後日追々…(^。^;) ☆オマケのコネタ ・今日の名電築港 目撃情報を戴いたので(情報多謝です)所用のついでに立ち寄ってみると、新たな6両編成が解体の為に運び込まれていました。 そのうち一両の車番は7008のよう。 ・ヱヴァ新劇場版第2部「破」は09年初夏に公開予定 …だそうです。 本投稿及び添付した写真は私ちゃりんこジョニーの著作物であり、他のサイト・掲示板及びブログ等への無断転載を禁じる。 特に、かつては「中華人民共和国萬歳」現在は「異常な愛情」と言う名のパクりブログを運営している、支那人窃盗常習犯sunbinsiftに対しては強く抗議する。 |
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ニコン D90 ニコン AF-S DX NIKKOR 18-200mm F3.5-5.6G ED VRII ニコン AF-S VR Zoom-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G(IF) トキナ AF SD 400mm F5.6 シグマ 170-500mm F5-6.3DG ペンタックス Optio W90 ・主な兵装 AK-47/P-90/89式小銃(以上東京マルイ製電動ガン) ベレッタM9(KSC製ガスブローバック) ・支持球団 大阪近鉄バファローズ
口上
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