または私は如何にして心配するのを止めて兵器を愛するようになったか
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この日は名鉄築港線名電築港信号所付近にて、引退した7000系パノラマカーの解体場所への搬入作業の一部を見る事が出来ました。
ワタシが現場を通りかかると、既に移動済みの車両の台車をクレーン車にて吊り上げて移動させている所でした。 写真は台枠のみ吊り上げられるFS335台車 (左)線路上に残された車輪及び車軸部分。その場にて(軸受け等の?)一部部品が取り外されていた。 (右)車輪及び車軸部分が吊り上げられて居るところ。手前には先ほど吊られていた台車の台枠部分が置かれている。 続いて次の車両の車体が吊り上げられ移動する。 2台のクレーン車が息を合わせての作業。 (左)今度は残された台車を移動させる。ミデン型のように見えるのでFS384かな? 再利用するのか車輪をつけたまま移動させていた。 (右)残った一両を吊り上げ位置まで移動させる。 車体の陰になっていた見えないが、陸軌車にて押している。 (左)両端の先頭車を含む4両は既に移動済みだった。 (右)今回搬入されたのは7019以下の6両編成のよう。 (左)手前に築港線名物平面クロスが見える。 (右)屋根上に乗っているのは鉄道車両用エアブレーキのタンクかな? 車両のエアブレーキと接続する為らしいホースも見える。 車体後部にはヤナセと犬山成田山のステッカーが貼られている。 踏み切り部分を利用して道路に下りる。 (左)この時はまだ「鉄道モード」。 車体の前後の小さな車輪をレールに乗せている。 駆動力はタイヤより直接レールに伝える方式のようで、必然的に軌間(レールの幅)似合わせてタイヤの幅=車体の幅が決まり、小ぶりな車体になっているよう。 (右)「鉄道モード」用の車輪を跳ね上げた所。 (左)「道路モード」に「変形」完了! 係員さんの誘導で車道に出る。 (右)そのまま道路走って帰還。お疲れ様でした。 ワタシも次の所用があったりしたので、これにて撤収しました。 ※今回の写真は、係員さんの許可を得て作業の邪魔/危険にならない範囲で敷地内に立ち入らせて貰い撮影したものです。 ※作業現場などへの無許可での立ち入りは絶対に止めましょう。 PR
仙台遠征レポート最終回は、鉄道車両の写真を纏めて…
・東北/上越新幹線200系 8/23日、横田基地より仙台へ向かう途上の東京駅にて撮影。 東海道山陽新幹線の0系電車は最後の現役車両が間もなく引退の時を迎えようとしているが、0系の流れをくむ外観の200系電車はまだまだ多くが現役にある。 …とは言え、国鉄時代よりの塗装を引き継いでいる車両は稀少。 ・石巻線の貨物列車 8/24日、石巻駅で帰りの仙石線電車を待つ間に2本続けて撮影できた。 (左)国鉄塗装のDE10ディーゼル機関車が牽引するコンテナ列車。 (右)暫くするとJR貨物塗装のDE10牽引のコンテナ列車がやってきた。 ・夜明け前の仙台駅にて… 8/24・25の両日は朝4時台に上野へむけ雁行してゆく2本の寝台特急「カシオペア」と「北斗星」を撮影すべく、夜明け前の仙台駅へ行ってみる。 (右)駅構内の案内表示には、国鉄時代からのフォントによるものも見られた。 寝台特急が来るのを待つ間に、駅構内に停車している電車を撮影。 まずは仙台地区の新鋭E721系交流電車。 JR東日本ではJR他社との形式名の重複を防ぐ為、近年登場した車両の形式名に「E」を被せている。 (右)こちらは基本形式の0番台。仙台地区の車両近代化のため昨年投入された、2両編成・3扉セミクロスシートの近郊型電車。 バリアフリーの観点等から、在来形式の出入り口に有ったステップを廃止する為、小径車輪を使用する等して低床化が図られている。 (左)500番台車は、昨年3月に開業した仙台空港線への直通用の車両で、ワンマン運転用の機器等所要の装備を搭載しているほか、塗装も0番台車と異なる。 (右)仙台空港行き乗り場は、木材を使ったデザインにリニューアルされていた。 SAT721系。 E721系500番台車の仙台空港鉄道所有車。塗装が異なる他はJR東日本車と大差ないようで、運用も共通の模様。 撮影できた編成も全てJR東日本車と組んだ4両編成だった。 (右)この編成にはイラストのラッピングが施されていた。 719系交流電車。 国鉄末期に投入された3扉セミクロスシート車。 さて、何で2日も続けて早朝の駅へ行ったかと言うと、使用する客車が1編成のみなので不定期な「カシオペア」の運転日を勘違いしていた為。(爆) 北斗星のほうは連日運転される。8/24の上り北斗星は、カシオペア塗装のEF81交直流電気機関車が牽引してきた。 8/25は上りカシオペアも運転。 使用される客車は1999年に新造されたE26系寝台客車。客室は全て2人用のA個室寝台。 (右)札幌方の車両はカハフE26形。 編成全体に電源を供給するディーゼル発電機の他、ハイデッカー構造にてラウンジと展望室が設けられていると言うユニークな車両。 8/25の上り北斗星は、北斗星(赤)塗装のEF81が牽引してきた。 ホームには此処まで運転してきた運転士さんがいる。(仙台駅で交替) 発車の模様の動画。 判っていた筈なのに警笛の音に驚いてビクッっとなっているヘタレぶりと合わせてお楽しみください(^_^;) ・その他仙台駅で撮影した写真 8/25日朝。松島へ行く際に撮影した写真。 (左)701系交流電車 本形式の投入により客車列車等多くの国鉄型車両を淘汰したため、ファンからは逆恨みで嫌われているフシがある気の毒な電車。 …とは言え、列車をまっていてロングシートの701系が来ると、内心「チッ、ハズレか」と思ってしまうのも正直な所(^_^;) (右)110系気動車。 JR東日本が各地の非電化ローカル線に投入したディーゼルカー。 気仙沼行き快速「南三陸」に使用するため側線で待機中。 仙石線は地下ホームより発着する。 使用されるのは首都圏より移ってきた205系電車。 仙石線と聞くとご存じない方はローカル線的なイメージを抱かれるかもしれませんが、ラッシュ時の光景は大都市の通勤電車そのもの。 撤収直前に仙台駅新幹線ホームで撮影した写真。 (左)「はやて」と「こまち」の連結部分を流し撮りで… (右)200系電車@JR東日本塗装。 先に仙台へ到着した「はやて」の編制後方へ秋田新幹線「こまち」を連結する所。 「こまち」の方はポケモンのラッピング編成だった。 この後、手前の「はやて」に乗車し帰還しました。 改めまして、現地にてお世話になった皆さん有り難うございました。
松島の巡りの遊覧船を降りたあとに、松島及び仙台の名所を回ってきました。
・五大堂 松島の遊覧船乗り場側の小さな島の上に立つお堂。後述する瑞巌寺の一部で、現在建っているお堂は1604年に伊達正宗により再建されたものだそう。 内部には五大明王像を安置。 …ここで、現地在住の親族と合流。以下道案内をしてもらっています。 ・瑞巌寺 正式名称は松島青龍山瑞巌円福禅寺。創建は平安時代にまで遡るが、現在見る事が出来るそれは伊達正宗の時代に造営されたものだそう。 伊達正宗は仙台城の築城のほか領内の神社仏閣の造営も行ったそう。 …と言いつつ写真は境内に有った「鉄道殉職者弔魂碑」。 国鉄時代に作られたもののようで、傍らには蒸気機関車の動輪も安置されてあった。 (中)本堂。大きくて画面に入りきりません(^_^;) 外観は如何にも禅寺…といった雰囲気だが、内装は豪華だった。 (右)庫裡(くり) 簡単に言うとお寺の台所。大屋根の上に煙出しが乗った独特な構造。 本堂と庫裡は国宝に指定されている。 ・円通院 伊達政宗の孫である光宗の菩提寺。瑞巌寺に隣接している。 お庭が綺麗で、特に紅葉の時期がすばらしいそう。 (左)茅葺の質素かつ落ち着いた山門 (右)奥に見えるのは伊達光宗の霊廟である三慧殿。 (左)境内にはバラ園が有ったりする。 (右)奥に見えるのは本堂「大非亭」。 19歳で早世した光宗を悼んだ政宗が、光宗の江戸納涼の館を移築させたものだそう。 ・塩竈神社 古くから東北鎮護・陸奥国一之宮として信仰を集めていたが、江戸時代に入りこの地を治めていた伊達氏は領内の神社仏閣の造営を進め、現在の塩竈神社の社殿は四代綱村から五代吉村にかけての治世の間に造営されたものだそう。 (右)境内には「右宮」「左宮」「別宮」…と三つの拝殿があるという、珍しい構造。(写真は「別宮」) 塩竈神社はが建つ岡の上から塩釜市内を望む。 今回案内いただいたT君オススメのお店で、仙台名物牛タンの昼食を取った後。次の目的地へ移動。 ・仙台城 青葉山に位置することから通称は青葉城。 1608年に伊達政宗が入城して以来明治維新後まで伊達家代々の居城として使われてきた。 当初より天守閣は設けられず御殿がその代わりを果していたが、当時の建物は明治維新以降破却されたり戦災により焼失したりで現存するものはない。 写真は城跡より望む仙台市内。 …とは言え、仙台へ来たならこの銅像は押さえとかないとね。(^。^;) この地に建つ政宗像は3代目のもので、戦前製の初代の銅像は戦時下の金属回収令で撤去され(※1)。 戦後コンクリート製の立像が立てられた後(※2)、昭和37年に現在の銅像が作られた。 ※1 胸から上の部分のみ溶かされずに残され、現在は仙台市博物館似て展示 ※2 現在は大崎市の岩出山城へ移設 仙台城は、逐次用語幾度かの改修を受けていおり、近年行われた石垣の修復作業に伴う発掘調査により、その変遷が明らかになっている。 (左)築城時の石垣のサンプル。自然石をほぼそのまま使用している。 (右)後年の改修時の石垣。四角く加工した石材を用い、横目地が水平になるよう組まれている。 ・瑞鳳殿 仙台城のそばに有る、伊達政宗及び伊達家代々の墓所。 瑞鳳殿は伊達政宗の霊廟。桃山様式の建築物で戦前は国宝に指定されていたが、1945年空襲により焼失。 現在の建物は1979年に再建/2001年に改修されたもので、創建当時の姿を復元している。 伊達家2代目伊達忠宗の霊廟感仙殿(手前)と伊達家2代目伊達綱宗の霊廟善応殿(奥)。 こちらも瑞鳳殿とほぼ同様の構造を持っていたが(装飾などが若干控えめかな?)、戦災で焼失し再建されたもの。 ちなみに4代目以降は通常のお墓に葬られているそう。 ここまで見学した所で、帰りの新幹線に丁度よさげな時間となったので、駅まで送って戴き帰路につきました。 ちなみに、宮城県と言えば、6月に発生した岩手・宮城内陸地震が記憶に新しい所ですが、今回回った地域では地震による被害や影響は見当たらず、観光などには全く支障がありませんでした。 最後になりましたが、当日ご案内いただいたT君ご夫妻および、3日間同行させていただいたTさん大変お世話になりました。
第四次東北遠征最終日は、観光地巡りです。
先ずは日本三景のひとつ松島へ。 天候は相変わらず雨だったものの若干小雨気味…と言う事で、今次遠征中では一番の好天でした。(^_^;) 仙石線松島海岸駅で下車し、少し歩くと観光船乗り場へと到達する。 (左)桟橋のこちら側には塩釜-松島間を航行する観光船が停泊していた。 何故このルートかと言うと、松尾芭蕉が船により松島へとやって来た事に因むのだそう。 それはともかく、船名が「やまびこ」「あおば」と東北新幹線の列車の愛称やねー。 (右)で、桟橋のこっち側が松島湾周遊の観光船乗り場。 奥の第三仁王丸に乗船しました。 (左)第三仁王丸の船内。ちなみに追加料金を払うと2階の「グリーン席」へ移る事も出来る。…が我々は船尾のオープンデッキにて撮影。 乗船開始直後なのでガラガラですが、出港間際には平日の朝イチの便なのに結構な乗船率でした。 (右)エンジンの音 轟々と はやぶさが行く(^。^) その後には乗船客からエサを貰おうとかもめが続く。 松島の遊覧船は複数の会社が様々なコースにて運航しているようなので、ご利用の際は各自研究の上都合の良い便を利用するのが吉。 (左)さて、松島遊覧のマストアイテムと言えば、やめられないとまらない…なこれ。(^。^) 出港後船内の売店にて販売されます。(停泊中のエサやりは禁止の模様) (右)状況開始!(^。^) とにかく、たくさん集ってきます(^。^) 横田-松島と、今回の遠征は雨のため不発な航空祭ばかりで、「飛んでいる物体」の撮影に餓えていたので、どんどん撮りまくります。 (^。^;) 捕食の瞬間。 ぱっと見はかわいいのですが、この瞬間は本気(マジ)な目付きで少し怖いです(^。^;) たいがいは上手についばんでゆくのですが、たまに少し指を噛まれたり、羽の先でアタマをシバかれたりします(^_^;) 捕食の瞬間その2。 中には要領のよい奴もいて、船尾等にあるもやい綱を縛る所(何て言うんだ?)にとまってエサを貰ったりします。 …が、そんなよい場所は当然奪い合いになる訳で…(^_^;) Σ( ̄□ ̄;)ハッ! 遊覧船に乗ってるのに、かもめに夢中で全然風景の写真撮ってねー! …という訳で岩の写真等も撮ろうとするのですが… 鳥、邪魔!! (^。^)ォィォィ (左)開き直って、鳥を入れて撮影(^。^;) (右)この船の船名の由来、仁王岩。 …という事で遊覧終了。怒涛の50分でした。(^_^;) (左)我が第三仁王丸に続いて入港してきた、塩釜よりの第二芭蕉丸。 (右)我々が乗った便より更に多くの乗船客を乗せて出港してゆく第三仁王丸。 五大堂付近より撮影。 …つづく。
生憎の雨により松島基地航空祭より転進することにしたのは良いものの、そのまま宿に戻るにはチト時間場早くて勿体無いし…と、一旦仙台とは逆方向へ進み、石巻へと立ち寄ってみました。
写真は石巻駅構内に飾られていた仙台七夕。 …ポニョ? 石巻は萬画家・石ノ森章太郎の出身地に近いということで、「萬画の国・いしのまき」として町おこしを図っており、石巻駅構内にも石ノ森キャラが見られました。 (左)改札横にも… (中)乗り場の案内にも… ※危険ですので、駆け込み乗車及びライダーキック乗車はお止め下さい(^。^) (右)駅のエントランスにも石ノ森キャラが… とりあえず一息つこうと言う事で、駅前のスーパーに入り遅い昼食を摂る。 何せ体が冷え切っていたので、少しでも温まろうと普段はあまり食べない味噌ラーメンを注文(^_^;) 着替えのシャツ的なものも買おうと思ったものの、ほぼ食料品のみな感じのスーパーだったので、ま、エエか…と先へ進む事にする。 人心地ついたところで行動再開。町の中にも石ノ森キャラのオブジェがある (左)変身中 (中)税務署の案内もこんな感じ (右)マンホールのふたにロボコンと石ノ森萬画館 …で、これが石ノ森萬画館。 館内には石ノ森作品に関する様々な展示の他、ミュージアムショップなども有ります。 (右)当然展示物の多くは撮影禁止だった訳ですが、記念写真用に撮影可能だった1/1「ぬりかべ」のアップを… 当日は企画展として「ゲゲゲの鬼太郎と妖怪(なかま)たち展」が行われていた。 松島航空祭に飛来していた「鬼太郎」@T-400と合わせて、期せずして水木しげるデーに? 見学を終えて駅へと戻る。 (中)時計台の上に乗っているのは、石巻の海に因んだヒーロー「シージェッター・海斗」 (右)仙石線で仙台へと戻る。 仙石線の「仙」は仙台の仙、「石」は石巻の石。つまり石巻は仙石線の終着駅。 帰路の仙石線は、松島基地最寄りの区間を含む石巻-野蒜(のびる)間で雨による徐行運転を実施していました ダメだこりゃ…┐(´~`)┌ 結局雨は夜になっても降り止まず… 当日現地にてお世話になった皆さん有り難うございました。
お盆休みに近鉄のフリーキッフでブラブラする作戦最終日は、伊賀上野へと行って来ました。
伊賀神戸で近鉄電車から伊賀鉄道へと乗り換えて上野市着。 伊賀鉄道はかねてより赤字のため経営形態の見直しが示唆されていた近鉄伊賀線を、2007年10月1日に近鉄より経営移管された鉄道。 線路や車両などの施設は移管後も近鉄が保有/管理し、近鉄と地元自治体が出資し設立された伊賀鉄道は運営/運行を担当するという「上下分離方式」が採用されている。 写真は上野市駅に隣接する車庫。 余談1:同じく近鉄の赤字路線を移管された養老鉄道も同様の手法で経営されている。 余談2:伊賀線は1929(大4)年に大阪電気軌道(略して大軌、近鉄の前身)に合併される前の一時期「伊賀鉄道」と名乗っていた時期がある。 上野市の駅前。 モダンな駅舎が建つ駅前に、伊賀出身の松尾芭蕉の銅像が建っていた。 上野市駅から徒歩ですぐの上野城跡の一角に立つ忍者屋敷。 一見普通の農家だが、内部には様々な仕掛けがある。 忍者屋敷付属の史料館にて… (左)お約束の手裏剣 (右)お約束の忍者刀 俳聖殿。 松尾芭蕉の生誕300周年を記念し、1942(昭17)に建てられた。内部には芭蕉の像が安置されている。 外観は芭蕉の旅姿を模しおり、上部の屋根が芭蕉の被る笠を、2階部分が芭蕉の顔を、下部の屋根が蓑を現しているそう。 上野城の天守閣。 …ただし、本来の上野城天守閣は建築途上の1612(慶長17)年に嵐のため倒壊したきり、戦乱の世が終わった事もあり建築されずじまいで、今建っている天守閣は1935(昭10)年に地元有力者の私財にて再建されたもの。 とは言え、同時期に再建された大阪城と違いこちらは木造建築のものなので、言われなければ再建された天守閣だとはわからないかも? (右)天守閣よりの眺め。俳聖殿が見える。 だんじり会館。 上野市のお祭り「上野天神祭」に登場するだんじり等を展示している。 観光が終わった所で「鉄」に戻る(^_^;) これまで未乗だった上野市-伊賀上野間を乗車。 伊賀鉄道は南端の伊賀神戸(いがかんべ)で近鉄大阪線と、北端の伊賀上野でJR関西本線と接続している。 近鉄時代末期より伊賀鉄道でされている車両は、近鉄820系を伊賀線転属のため狭軌/冷房化改造した860系。 この編成は、松本零士デザインの「くの一」塗装を施されている。もう1編成緑色の「くの一」編成も有るが、この日は車庫の奥で休んでいて撮影できず。 JR西日本のキハ120系気動車。 「くの一」電車で伊賀神戸駅ひとつ手前の尺土駅まで一気に移動。伊賀神戸で折り返してくる同編成を撮影する。 ちなみに伊賀鉄道にも一日フリー切符があり、一日600円なので伊賀神戸-上野市往復(以上を乗る)ならば、フリー切符利用の方がお得 徒歩で伊賀神戸駅へ移動。 写真は伊賀神戸駅に停車中の860系@通常塗装。 前身である820系は、近鉄奈良線近代化のため投入された800系の増備型として1961年に登場した形式。 800系が湘南型(正面2枚窓)の前面非貫通構造で4両編成だったのに対し、820型は前面貫通路を持つ2両編成で、ある意味名鉄5000計に対する5200計のような存在といえるかな? 断面が小さかった旧生駒トンネルにあわせ全長18mで狭幅車体の小型車だが、新生駒トンネルが開通し奈良線での20m/広幅の大型車の運行が可能となると、次第にローカル運用へと移ってゆき、伊賀線へと回って来た物。 製造以来45年以上が経過しているので、伊賀鉄道の出資者である地元自治体は新型車両の導入を計画しているそう。 近鉄電車にて帰路につく。 途中乗り換えの時間を利用して伊勢中川駅で少し撮影。 近鉄大阪/名古屋/山田(伊勢方面)の各線が接続する中川駅では、一部線路の両側にホームを作って各線交互の乗換えを容易にしている。 大阪上本町発の宇治山田行き急行@シリーズ21が中川発名古屋行き急行と連絡を取る。 特急は特急同士、急行は急行同士で接続が取れるようダイヤが工夫されているのは流石。 …と言う事で右側の名古屋行き急行で撤収しました。
間が開いてしまいましたが、お盆休みの大阪二正面作戦レポートのラストは、「西部戦線」である所の京阪電車編です。
中之島線の開業を目前に控えた京阪電車では、塗装変更が始まったりしており、変化が迫っている今の状態を記録してきました。 …と言うことで、京阪名物複々線区間を行く各列車を撮影すべく、先ずは土居駅へ展開。 カーブに差し掛かっているのは、3扉セミクロスシートの車内設備を持ち、グリーンの通勤車塗装ながら特急にも使用される9000系。 背後には滝井・千林・森小路の各駅が見えている。各駅が比較的短い間隔で続くこの区間だが、滝井-土居間の間隔は特に短く、8両編成の電車ならばその先頭が土居駅に差し掛かるとき後尾はまだ滝井駅のホーム上に有るのではないか?と思えるほど。 8030型と5000系。 新世代の特急車8000系登場後も1編成のみ残されていた3000系だが、中ノ島線開通にともない増備される新型電車が3000系を名乗ることから8000系に編入され、新たに8030型を名乗る。 5000系は5扉車で、ラッシュ時以外は2扉を締め切り3扉車として使用されるというユニークな電車。 6200系の新塗装車。 一般車(通勤車)用の新塗装は、沿線の風景及び京阪伝統の緑に白をプラスすることで新鮮な感覚をプラスしたデザイン。 特急用の主力車種8000系がゆく。 (右)擦れ違っている7000系には源氏物語のラッピングが施されている …と此処で雷鳴とともに夕立が襲来。ホーム上の屋根の有る位置まで移動して撮影続行。 (左)ヘッドライトを点灯し6000系の準急が通過してゆく。 (右)7200系の準急 (左)2400系の車体更新車。 (右)悪天候の写真が大好きなワタシとしては、先ほど淀屋橋まで行った8030が戻ってくるまで夕立が降り続いて欲しかったが、実際にはその時には微妙な降り具合に…(^。^;) 西三荘駅まで移動。 (左)この7000系は京橋花月開業をPRするラッピングが施されてあった。 (右)1000系と5000系が擦れ違う 2600系。 運転台助士側の窓が2段窓だったり、貫通路に幌がついていたり…と原形を良く残している車両 (左)7200系の新塗装車 (右)2200系の新塗装車。 前面のデザインが大きく変化した6000系以降と以前の車両では全面の塗り訳パターンが異なる。 (左)8000系の旧塗装車。 旧塗装車の一部には、車番及び「K」マークが新塗装化を前提としてか従来の金属プレートの切り抜き文字からステッカー式のものに変更されているものが見られたが、この車両は切り抜き文字のままだった。 (右)きかんしゃトーマスのラッピング車@7200系 大和田駅へ移動。大和田のS時コーナーは複々線区間随一の撮影ポイント(^。^) やってきたのは8000系の新塗装車。 従来のものを上下逆転させたような特急車の新塗装は、十二単や紅葉、祝祭、金蒔絵等エレガントなイメージを表現したカラーデザインだそう。 森小路駅へと移動。この駅はストレートな複々線区間に島式ホームがある。 8030型の特急が京橋へとラストスパートをかけていった。 野江駅へと移動。 (左)7200系新塗装車が潜ろうしているのは城東貨物線。 (右)日が傾きかける中、家路を急ぐ人々を満載した8030型が行く。 天満橋駅へと移動 (左)天満橋駅3番線に停車中の出町柳行き急行@5000系。 以前はラッシュ時を中心に天満橋折り返し電車が使用していた3/4番線は、現在は淀屋橋発着の電車が使用している。 (右)2番ホーム先端付近より中之島方面を望む。此処から見た限り工事はほぼ完了しているような印象。 以前は淀屋橋発着の電車が使用していた1/2番線は、現在は天満橋折り返しの電車が、中之島線開通後は中之島発着の電車が使用する。 |
時計
※この時計の時刻は、閲覧しているパソコンのものであり、必ずしも正確な時間とは限りません
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口上
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